水子供養
水子(みずこ)は、人工妊娠中絶や流産、死産により死亡した胎児のこと。
水子は本来「すいじ」と読み、戒名の下に付ける位号の一つで、死産や乳児の頃に夭折した者に対して付けられるものであった。
水子とはこのように、もともとは死亡した胎児だけでなく乳児期、幼児期に死亡した子供を含む概念であったが、戦後の日本で人工妊娠中絶が爆発的に増加したことを受け、1970年代ごろから中絶で死んだ胎児の霊を弔う水子供養の習慣が広まっていくとともに、現在の意味が定着していった。〈ウキペディアより〉仏教界では、【流産、死産を水子・満1才未満の乳児を嬰子、嬰女・1~2才を孩子、孩女】としています。母親の胎内に3百余日のあいだ生命を育てながら生まれてくる尊い命を人工的に中絶して抹殺してしまうことはもっとも罪深いことであります。母胎に赤子の命が宿り、無事出産をむかえるときはすでにかぞえ年1才となるのです。ここに重要な問題があります。魂を宿しても、目も見えず、心も開かれず暗き闇に沈んでしまう不幸を水子供養にて救い両親の愛情を示す事が、母乳を与え父の慈しみをさずける事です。その慈悲と愛が後の幸福な家庭を築く為の懺悔となるのです。新興宗教や霊感商法で「水子の祟り」と脅して入信を迫る者がおりますが、これは詐欺的な営利商法であって真の水子供養ではありません。裏を返せば尊い命をはれものみたいにお祓いする行為として読み取れます。水子は祓うのではなく、亡き人を弔うのと同じく真心込めて供養してあげることが大事です。
不幸にして子供を死産してしまった、両親の無念さは、日蓮聖人のご遺文から『咲いた花の散らずして、つぼみの花の枯れ、満月に雲のかかりて晴れずして山に入るがごとし、情け無き無常かな。』の心情でしょう。亡き子を弔うべく真心込めて水子供養し、今度は元気な赤子が授かるようご祈念しましょう。