平成15年に住職となってから、開山以来の「修法布教」の精神と、柴又帝釈天山務以来の「僧侶は読経」の精神で、信者の皆様に接しております。
妻の寺庭婦人、母の先代寺庭婦人共々、参拝者を笑顔で迎え、茶菓を振る舞うなど、家庭的なおもてなしを心がけています。
納骨堂は、御本尊の大慈母観音のもとにあります。
身寄りのない方でも、母なるやさしさに包まれながら、その胎内へ還るがごとく、お釈迦様のもとへ行けるのです。
それを導くのが、私の生涯の役割と心得ています。
開宗山 深妙寺 住職 岩城是海
歴代住職概要
開宗山 深妙寺の開山・岩城是秀は、昭和30年前半まで、法華修験道秘伝御消滅祈祷修法によって信者を教化、寺門護持運営に尽力する。
2世・岩城是光は、開山の修法布教を継承しつつ、さらに言説布教による信者教化、納骨堂入壇檀家の教化により、寺門のさらなる発展に尽力。 さらに昭和50年前半まで、公立中学教師および当寺院にて書道教室兼職する。また、社会福祉のために地元子供会会長や、更生保護司を長く務める。
平成6年11月3日 | 保護司としての社会貢献が認められ、藍綬褒章受章 |
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平成13年11月3日 | 勲5等瑞宝章受賞 |
平成15年6月10日 | 布教興学の功績により、宗門から2級法功章受章 |
現住職の3世岩城是海は、昭和60年1月より現在に至るまで、葛飾柴又帝釈天題経寺に、開帳祈祷祈願担当の山務員として勤務。日本全国からの参拝者の各種祈願項目に合わせた祈祷祈願を、年間平均1日10座以上勤める。
昭和57年3月 | 日蓮宗大本山池上本門寺 随身修行2年間成満 |
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昭和57年8月 | 日蓮宗教師認証 |
昭和60年3月 | 立正大学仏教学部宗学科卒業 |
昭和62年2月 | 日蓮宗大荒行堂百日修行成満 |
平成15年3月31日 | 深妙寺住職認証 |
境内
浄行菩薩 | 浄行様のご聖体を自分の体に見立てて、具合の悪い部分をたわしで洗いながらお参りすることで御利益を頂戴します。何度も参拝に訪れる信者様も多い、人気の菩薩様です |
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供養塔婆 | ・水子観音供養塔 ・万霊供養塔 |
承っている法事
年回忌法要(3万円より)、各種祈祷※(3000円より)、ご先祖・水子等の各種供養(1000円より)、年中行事、葬儀(仕出しは当山にてご注文いただきます・・当山施行の場合)、1周忌、三回忌など
※各種祈祷・・・家内安全・身体健全・商売繁盛・社運隆昌・心願成就・厄除・方除・交通安全・安楽産福子
開宗山深妙寺縁起
明治41年4月28日 | 岩城源三郎によって、東京市浅草区北清島町に「開宗講」を設立 |
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大正7年4月8日 | 日蓮宗管長より「日蓮宗開宗教会所」として設置を認可される |
大正12年9月1日 | 関東大震災によって教会所が焼失 |
大正13年4月25日 | 岩城源三郎(法名・智妙)逝去。岩城智信尼が後を継ぐ 岩城是秀が向島須崎町に深妙教会を設置し、広宣流布に努める |
昭和20年3月10日 | 大東亜の大空襲により深妙教会全焼失 |
終戦直後 | 疎開先の山梨(是秀の住職寺)から帰京し、中野区本町通に仮教会所を設置 |
昭和21年12月9日 | 岩城智信尼が遷化 各方面の支援を受けて是秀が開宗教会の担任となり、建物の大改修などの復興に努める |
昭和22年2月28日 | 開宗・深妙の両教会を統合。宗教法人法に基づき、「深妙教会」として登記 |
昭和27年6月26日 | 法人法に基づき、東京都知事より規則承認書が交付される |
昭和28年4月28日 | 深妙教会の名称を寺号、旧・開宗教会の名称を山号とし、「開宗山 深妙寺」と公称する。開山は是秀 |
昭和28年7月31日 | 東京都知事より教会より寺院への規則変更を承認される |
昭和29年 | 納骨堂および祈祷道場「鬼子母神堂」を建立 |
昭和41年 | 岩城是光が2世として入寺 |
昭和49年 | 宗祖・日蓮聖人の降誕750年記念事業として、本堂および客殿を建立 |
昭和55年 | 開山・是秀遷化 |
昭和56年 | 宗祖・日蓮聖人の700遠忌記念事業として、納骨堂および境内を整備 |
昭和62年 | 玄関を増改築 |
平成2年 | 客殿台所を増改築 |
平成14年 | 会館閉鎖に伴い庫裡とする |
平成15年3月31日 | 岩城是海が宗務院より住職を認証される |
平成15年4月20日 | 寺号公称50年記念として是海が3世として入寺 是光は院首に就任 |
平成17年10月23日 | 宗祖・日蓮聖人の724遠忌報恩御会式を兼ねて納骨堂を改築。「大慈母観音 永代供養 納骨堂」の落慶開眼の法会を厳修 |
平成22年8月1日 | 現納骨堂「江戸川観音浄苑」建立、落慶開眼の法要を厳修 |